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季節ごとの醍醐味や「らしさ」を表す季語。
この季語を必ず一つは使い、詠むというのが俳句のルールです。

季語には、その季節によって様々なものがあります。

そこで今回は、有名な俳人たちが詠んだ秋の俳句を5つご紹介します。また同時に、その季語や俳句に含められた意味、詠んだ背景などの解釈を簡単にまとめてみました。
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秋の俳句(1)松尾芭蕉が詠んだ深まる秋の侘しさの俳句


秋深き 隣は何を する人ぞ

日本だけでなく、世界的にも有名な俳人・松尾芭蕉(まつおばしょう)が残した俳句です。また、「野ざらし紀行」や「奥の細道」など、多くの紀行文を残していることでも有名です。


それでは、そんな松尾芭蕉が詠んだ俳句の意味を読み解いてみましょう。

色濃く深まる秋の気配の中、
隣りの人は何をしているのかと気になってきます



数多くの名句と呼ばれる俳句を残した松尾芭蕉ですが、ご紹介する「秋深き~」は、その中でもとても有名な俳句です。ただ、こちらの俳句を「秋深し~」と覚えている方も多いようですが、「秋深き~」が正解です。

実は、この俳句を詠んだときの松尾芭蕉は、病で床に臥せっていました。布団の上から出られない状況で、聞こえてくるのは秋の静寂とした気配ばかり。

俳句の中にある「隣人」は、もしかしたら現実とした隣人ではなく、松尾芭蕉が元気な時に、一緒にこの時分の季節を楽しんでいた仲間や弟子たちのことを指していたのかもしれませんね。

秋の俳句(2)ひんやりと静謐な秋の明け方を詠んだ与謝蕪村の俳句


白露や 茨(いばら)の刺(はり)に ひとつづつ

こちらの俳句を詠んだのは、与謝蕪村(よさぶそん)という江戸時代中期の俳人です。

与謝蕪村は、松尾芭蕉や小林一茶と並び称される有名な俳人です。また、後の時代の著名な俳人・正岡子規も、与謝蕪村をかなり尊敬していたそうで、大きな影響を与えたのだとか。


そんな与謝蕪村の詠んだ秋の俳句の一つ、「白露や~」の意味がこちら。

庭一面に朝露が降りる深まる秋の朝、
茨の刺の先々には、美しい露の玉が輝いているよ



与謝蕪村らしい清々しさのある俳句です。

どうやら彼は、優れた俳人としてだけでなく、画家としての才能もある人物だったようです。だからこそ、光や空気などの雰囲気を大切にする、絵画的なセンスが光る情景を詠んだ俳句を多く残しているのかもしれません。

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秋の俳句(3)加賀千代女の女性らしい柔らかさで秋を詠み込んだ俳句


朝顔に つるべ取られて もらい水

作者は江戸時代を代表する女流俳人・加賀千代女(かがのちじょ)です。生まれつき病弱だった加賀千代女は、当時、松尾芭蕉が大いに流行っていた時代に相応しく、幼いころから俳諧(はいかい)に親しんで育ちました。

そして、12歳の頃、松尾芭蕉の弟子の一人、岸弥左衛門に直談判して弟子入りを許されます。そこから、加賀千代女の名は世に広まることとなりました。


そんな加賀千代女の詠んだ俳句の意味がこちら。

朝早く、井戸へと水を汲みに出てみると、
井戸の釣瓶に朝顔が蔦を巻き付かせ咲いていました。
それを解くのは、なんだか忍びないので、
近所の家へ水を貰いに行くことにしましたよ



地域によっては、小学生の頃に習っている方も多いこの俳句。

加賀千代女は、1700ほどの俳句を残していますが、その中でも、とりわけ有名なのが、今回ご紹介した俳句です。彼女の詠んだ俳句は、自然への畏敬の念を抱いたものが多く、また共通して、どれも思い遣りに溢れた優しい作風です。

そんな俳句を通し、加賀千代女の人柄が伝わってくるようですね。

秋の俳句(4)平穏な秋の風景を詠んだ正岡子規


柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺

明治時代を代表する俳人、文学者の一人であった正岡子規(まさおかしき)による一句です。

子規は日本を代表する小説家・夏目漱石とは同窓で、とても仲が良かったそうです。また日清戦争時には、記者として従軍。ただ、そのことが影響したのか、患っていた結核の症状を悪化させ、34歳という若さで亡くなりました。


そんな正岡子規の詠んだ俳句の意味がこちら。

法隆寺の茶店で柿を食べていると、
法隆寺の鐘の音が響いてきた。
静寂とした空気に響くその音を聞いていると、
なんとも穏やかな秋の長閑さを感じるものだ



正岡子規の最後の旅行となった奈良旅行。因みに、その世話をしたのが夏目漱石であり、この「柿くえば~」の俳句は、夏目漱石へ贈ったお礼の句であったともされています。

また、この俳句を詠んだ頃には、正岡子規の病状は相当悪化しており、もしかしたら、臥せる床の中から想いを馳せて詠んだ俳句ではないかともいわれています。

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秋の俳句(5)過ぎ去った夏の余韻を感じさせる飯田蛇笏の俳句


くろがねの 秋の風鈴 鳴りにけり

高浜虚子の弟子であり、明治時代に活躍した俳人・飯田蛇笏(いいだだこつ)による一句です。

飯田蛇笏は俳人として有名ですが、植物学者としての一面もありました。そのため、彼の残した俳句には、自然との調和などがテーマとされるものが多く残っています。また、芥川龍之介とは友人同士であり、芥川龍之介も飯田蛇笏の作品の影響を受けたそうです。


それでは、そんな飯田蛇笏の詠んだ俳句の意味を紐解いてみたいと思います。

いつしか夏が過ぎ去り、
季節外れの鉄の風鈴が、
今は秋の涼やかな風に揺られている



こちらの俳句は、近代の名句とも称されています。

夏の余韻を感じさせながらも、確実に移り変わっている秋の気配を詠んだ俳句。さすがは自然を上手く取り入れ、深い趣を出す飯田蛇笏、といえるのではないでしょうか。

※参照:冬をテーマにした有名な5つの俳句とその意味を厳選して紹介

この記事のまとめ


有名な俳人たちが詠んだ秋の俳句とその意味を、5つに絞ってまとめてみました。

同じ秋というテーマでありながら、その雰囲気や俳句に込められた意味合いなど、詠む俳人によって個性豊かに伝わってくるものだとは思いませんか?
それは、詠んだときの心情は勿論、その季節を通した感性の違いにあるのでしょう。

しかし、これが俳句の醍醐味でもあります。季節というものを、各々の感性で表現していく。そうやって、季節を楽しんできた俳人たち。有名な俳句を通し、ぜひ独自の季節というものを楽しんでみてください。

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