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日本史にはいろいろな「〜文化」という言葉が出てきてややこしいですよね。

今回はその中でも、奈良時代にさかえた天平文化にスポットを当てて、有名な人物や代表作品についてご紹介します。

また、天平文化をささえた鎮護国家思想という考え方についても見ていきましょう!
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天平文化における代表的な人物とは?


天平文化の中心になった人物というと、まず聖武天皇(しょうむてんのう)があげられます。
そもそも天平文化という名前の由来が、聖武天皇が政治を行なった時代の年号が「天平」だった事から来ているので、聖武天皇抜きに天平文化を語ることは出来ないんですよね。

聖武天皇と言えば、国宝にもなっている奈良・東大寺の大仏をつくった事でも有名ですよね。

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この時、東大寺の大仏の造営の責任者になったのが行基(ぎょうき)というお坊さんです。この行基は、多くの人々仏教の教えを広めたことで知られています。というのも当時の仏教は、天皇や貴族だけの秘密のものだったのですが、これを多くの人々に広めたことに、行基の功績があると言えます。そして10年の年月と260万人ともいわれる人々の力を集めて、大仏さまはついに完成したのです。


また聖武天皇は中国・唐(とう)の国に何度も使者を送って、唐の国際的で進んだ文化や技術をさかんに取り入れていました。この時、唐の国から日本へ渡ってきた高僧・鑑真(がんじん)も、天平文化における代表的な人物の1人です。

日本で正しい仏教を教えて欲しいという、日本の朝廷からの願いにこたえて、鑑真は中国から日本へ船で渡ろうとしますが、当時の小さな木造船で海を渡ることは命がけの旅でした。何回も船出をしては嵐にあい漂流したりして、日本へ渡ることができず、10年の年月をかけてようやく6回目のチャレンジで日本に渡ることが出来たのです。

日本へ着いたときには、鑑真は60代になっていて苦労と老化のためにほとんど目が見えない状態になっていましたが、76才で亡くなるまで、僧が守るべき正しい仏教の規則を教え、たくさんの弟子を育てました。

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天平文化における代表作品について解説!


天平文化の代表作品としては、聖武天皇がつくった奈良・東大寺の大仏や、鑑真が開いたお寺・唐招提寺(とうしょうだいじ)が有名です。正しい仏教を教えるために、盲目になってもあきらめずに日本に渡った鑑真が759年に奈良で開いたこのお寺は、1989年に世界文化遺産にも登録されていて、たくさんの国宝の建物や仏像があります。

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さらに唐や朝鮮半島から使者たちによって運ばれたさまざまな貴重な宝物が約9000点、奈良・東大寺の正倉院(しょうそういん)に納められています。その中には東大寺の大仏をつくった聖武天皇がつかっていた品物などもあります。

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※参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/天平文化


これらの宝物は唐の文化や、インド・ヘレニズム文化の流れをくむ高い技術でつくられた品物がたくさんあり、遣唐使船に乗った使者たちや、朝鮮半島から渡ってきた使者たちが命がけの船旅をして運んで来た宝物ばかりです。


天平文化はこのように華やかでスケールが大きいのが特徴な、古代日本に花開いた文化でした。


また、この時代になると、貴族たちは中国の文字である漢文を学ぶようになり、それをもとにした書物が作られるようになります。日本最古の歴史書である『古事記』(こじき)と『日本書紀』(にほんしょき)、そして日本最古の文学である『万葉集』(まんようしゅう)が作られたのも天平文化の頃の話です。

他にも、日本全国の地名やその状態、土地に伝わっている言い伝えやとれる食べ物に関する情報をまとめた『風土記』(ふどき)も作られました。日本の文学などの書物は、この天平文化の時代にはじまったのです。

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天平文化における「鎮護国家思想」とは?


さて、天平文化について調べていると、しばしば「鎮護国家思想」(ちんごこっかしそう)という言葉が出てきます。一体どういう意味があるのでしょうか?

鎮護国家思想を簡単にいうと、みんなが仏さまの教えを学び、その教えにそって平和な世の中をつくるためにがんばれば、世の中の乱れは自然とおさまっていくという考え方です。
「仏さまの力で国の乱れをおさめ、平和を守る」と言ってもいいかもしれませんね。

天平文化の時代には、この鎮護国家思想のもとに、日本各地にその土地を守るためのお寺を建てたり、奈良の都でも東大寺や唐招提寺など、日本に仏教を広めるための中心になるお寺が建てられました。

さらに、鎮護国家思想は天平文化だけの考え方ではありません。古くは聖徳太子が法隆寺をつくって仏教によって国をおさめようとした事もありましたし、鎌倉時代にモンゴルが攻めてきた(元寇)時には、多くのお坊さんによって仏教の考え方を学べば日本は助かる!なんて言われた事もありました。

※参照:鎌倉文化の人物とその代表作を5つ解説!

この記事のまとめ


このページでは天平文化について、有名な人物や代表作品、そして鎮護国家思想についてわかりやすくご紹介しました。

・天平文化の人物:聖武天皇、行基、鑑真
・天平文化の代表作品:東大寺の大仏、唐招提寺、正倉院、古事記、日本書紀、万葉集、風土記
・鎮護国家思想:仏さまの教えにそって国をよくする考え方

簡単にまとめると、こんな感じになりますね。

ちなみに東大寺の大仏は、885年に大仏さまの首がおちたり、平安時代や戦国時代に当時の武将たちが燃やしたりするのですが、その度に大仏は修理され、今にいたっています。昔から今にいたるまで、日本人にとって大仏さまは心の拠り所だったのでしょうね。

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