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京都三大祭りの一つ、葵祭の前儀として行われる下鴨神社の流鏑馬神事。美しい糺の森にある全長500mの馬場を、公家や武家の装束を着た射手が馬を走らせながら、次々と小さな的めがけて矢を射る光景は迫力に満ち溢れていますよね。

今では下鴨神社の流鏑馬神事のように、主に神社などの祭礼の一つとして行われることの多い流鏑馬ですが、その起源や語源について知っている方はそう多くはおられないのではないでしょうか。

この記事では、「流鏑馬」という言葉の語源を解説すると共に、流鏑馬の流派や実際にやるにはどうすればいいのかをご紹介します。
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「流鏑馬」という言葉の語源やその起源について


流鏑馬という言葉の語源は「馬にのって鏑矢を射流す」からきており、この「矢馳せ馬」が転訛したものだといわれています。

流鏑馬の起源については、6世紀に宇佐八幡宮にて神功皇后と応神天皇を祀って天下泰平・五穀豊穣を祈願するため、馬上から3つの的を射させたのが最初とされていますが、この逸話は多分に伝説的であり、歴史上確実とされるのは平安時代になってからのことだとされています。

896年、時の宇多天皇が儀礼に通じ菅原道真とも親交があった源能有に命じて「弓馬の礼法」なるものを制定させ、平安時代後期に成立したといわれる『新猿楽記』という書物に文献上初めて「流鏑馬」という語が登場しました。『中右記』という貴族の日記にも神社で流鏑馬が奉納されたと記されています。

その後、源頼朝が鎌倉に武士政権を樹立し、政治の実権が貴族から武士へと移っていくにともない、流鏑馬も武士の行事の中に組み込まれ、笠懸や犬追物とともに武士の嗜みの一つとされました。

流鏑馬の2つの流派をわかりやすく解説


この流鏑馬ですが、小笠原流と武田流という2つの流派に大きく分かれています。

小笠原流、武田流とも、八幡太郎の名で有名な源義家の弟・新羅三郎義光の末裔である小笠原家と武田家が代々継承してきた流派の名前で、現在でも全国の神社で実演・奉納されていることで有名です。

小笠原流は江戸時代、第8代将軍・徳川吉宗の命を受けた小笠原貞政が、新たに儀式としての流鏑馬を制定。これ以降、都内の高田馬場にて徳川将軍家の繁栄を祈願するため流鏑馬が執り行われるようになりました。なお、先述した葵祭や鶴岡八幡宮の秋の例大祭で行われる流鏑馬神事は小笠原流です。

武田流は鎌倉時代から室町時代にかけて代々武田家が相伝してきましたが、安土桃山時代に滅亡した武田家から細川家へと伝授され、江戸時代に入り細川家の家臣・竹原家が継承し現在へと至っています。鶴岡八幡宮の春の例大祭、競技かるたで有名な近江神宮で行われる流鏑馬神事は武田流です。

この2つの流派ですが、身に付ける装飾や使用する矢などが微妙に異なります。


古式に則った伝統的な流派は上記の小笠原流と武田流の2派しかありませんが、鹿児島県の肝付町に伝わる高山流など地方に根ざし独自に発展した流派も存在しています。

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流鏑馬をやるにはどうすればいいのか。


この流鏑馬ですが、実際にやってみたいという方もいると思います。

流鏑馬をやるにはどうすればいいのでしょうか。


先述した小笠原流の場合、全国にある支部で流鏑馬体験会を開催しているので、一度問い合わせてみるといいかもしれません。また武田流でも「やぶさめ少年塾」と呼ばれる、小学5年生から中学2年生を対象にした、年間を通じて流鏑馬が学べる場が存在しています。

さらに現在では、スポーツとして競技化された「スポーツ流鏑馬」も行われており、各地の乗馬クラブで大会が開催されたり、レッスンや検定試験などが設けられているところもあります。気軽に流鏑馬が体験したい方は、まずスポーツ流鏑馬から初めてみてはいかがでしょうか。

この記事のまとめ


今回は、「流鏑馬」という言葉の語源やその起源に加え、代表的な流派である小笠原流と武田流、そして実際にやるにはどうすればいいかについてご紹介しました。

海外の方からは「これぞ本格的なサムライスピリッツだ!」「とても美しい」と言われるほど、流鏑馬は日本が誇る文化の1つだと思います。ただ見聞きするだけではなく、実際にやってみるのもいいかもしれませんね。

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