錦絵という絵画のジャンルについてご存知ですか?

浮世絵と同じ時期のスタイルなので、同時期に流行した春画との違いも含めてゴチャゴチャになっている方も多いと思います。

今回は、錦絵を始めた人や代表作を交えながら、この3つの違いをご紹介します。

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錦絵を始めた人は誰?なぜ誕生したの?


錦絵を始めた人は、鈴木春信(すずきはるのぶ)という江戸時代中頃に活躍した浮世絵だと言われています。春信が錦絵を書き始めたキッカケは、1765年、大久保甚四郎と阿部八之進という幕府の旗本が、同じ俳人仲間であった小松屋三右衛門という薬を扱う商人と「多色摺り」という印刷技術を考案し、この技術に沿った作品を書いて欲しいと依頼した事にあると言われています。

春信の作風はこうした様々な色を使うスタイルに合っていたようで、彼はたちまち人気の浮世絵師となりました。

春信は美人画を得意としており、例えば以下の「中納言朝忠」という作品があります。

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しかし春信は「錦絵」というジャンルが確立した5年後の1770年に、わずか46歳で亡くなってしまいました。ただその影響は凄まじく、同じ時代の錦絵の代表作な絵師である礒田湖龍斎(いそだ こりゅうさい)も、春信の影響から抜け出す為にかなりの日時を費やしたと言われています。

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錦絵の代表作はどのようなものがあるの?


続いて、錦絵の代表作をいくつかご紹介します。

まずは1790年代頃に活躍した喜多川歌麿東洲斎写楽です。

歌麿はこちらの「寛政三美人」のような美人画を、写楽は以下の「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」といった役者絵を得意とした事で知られています。

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また、1820年代の後半に活躍した歌川国芳は、中国の歴史小説『水滸伝』の登場人物を描いたこのような錦絵を描き、水滸伝ブームと言われるほど大きな人気を集めました。

この時期には日本各地を旅行する人が増えていたのですが、その中で生まれた作人には葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の『東海道五十三次』といった、日本のみならず世界中でも知られている作品も存在します。

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こうした絵を眺めていると「あれ?浮世絵じゃないの?」と思われるかもしれませんね。そもそも浮世絵と錦絵は何が違うのでしょうか。また、錦絵と同じ時期に流行した春画との違いも踏まえながら、以下でご紹介します。

錦絵と浮世絵、春画の違いを解説!


まず、錦絵も春画も”浮世絵の一つの種類”と考えると分かりやすいです。浮世絵の中で色が沢山使われている(鈴木春信以降の)作品を錦絵と考えると、分かりやすいと思います。

肝心の浮世絵の意味ですが、江戸時代初期に菱川師宣(ひしかわもろのぶ)という人物が確立した絵画のジャンルで、女性を描いた「美人画」や当時人気だった歌舞伎役者をテーマにした「役者絵」、役者が行う芝居を描いた「芝居画」など、様々なジャンルの総称を指します。ただいずれの作品も、江戸時代で「現在」を意味する”浮世”を題材にした、庶民の生活を描いた作品が多いのが特徴として挙げられます。

こうしたジャンルの1つが春画で、主に性的なものを題材にしました。今で言うヱロ本ですね。
当時の絵師たちによって春画は多くのお金が貰えたため、鈴木春信をはじめ喜多川歌麿や歌川国芳、葛飾北斎といった多くの浮世絵師によって春画は描かれています。
過激な表現だったため江戸幕府から取り締まられる事も少なくなかった春画ですが、人気は根強かったのでアングラで取引はされていました。こうした点は今とあまり変わらないですよね。

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この記事のまとめ


錦絵を始めた人やその代表作、浮世絵や春画との違いをご紹介しました。

今日私たちが見ている「浮世絵」の多くが、この「錦絵」のことを指しているといっても過言ではありません。こうした錦絵や浮世絵は明治以降、特に日露戦争が終わると描かれる機会も少なくなっていきます。しかし、当時の庶民たちにとっての浮世絵や錦絵は、江戸幕府お抱えの狩野派が与えた堅さとは全く異なり、大変面白おかしいものだったに違いありません。その狩野派の全盛期を築いた狩野永徳とその子孫について以下の記事で解説しているので、興味があれば合わせてご覧になってみて下さいね。

※参照:狩野永徳の作品の特徴や織田信長との関係とは。子孫もいる?