17世紀後半から18世紀初めごろの元禄時代に町人の間では、自分たちで文化を生み出していこうという動きが出てきます。その頃の文化を元禄文化といいます。
では、この元禄文化にはどのような人物が活躍したのでしょうか。
この記事では、元禄文化における5人の代表人物をご紹介します。
目次
元禄文化の代表人物(その1)松尾芭蕉について
松尾芭蕉(まつお ばしょう)という人は、伊賀国上野(現在の三重県上野市)の藩士で江戸時代の俳人です。俳人とは俳句を詠む人のことです。芭蕉は元禄2年(1689年)46歳の時に曽良(そら)という人を連れて旅にでます。
江戸を出発して関東・東北・北陸などを旅する途中で、松尾芭蕉はたくさんの俳句を作りました。有名な俳句では「夏草や兵どもが夢の跡」「閑かさや岩にしみいる蝉の声」などがあります。また、その旅の様子や、感じた事、旅先で作った俳句をまとめたのが「奥の細道」という紀行文です。
元禄文化の代表人物(その2)井原西鶴について
井原西鶴(いはら さいかく)という人は、1642年(寛永19年)に大阪で生まれました。
江戸時代の浮世草子・人形浄瑠璃の作者で俳人でもあります。
浮世草子というのは、町人の暮らしなどを題材にしたお話のことをいいます。
また人間浄瑠璃とは、三味線や語りに合わせておこなう人形劇のことで、現代にも伝わっている古典芸能のひとつです。
井原西鶴の代表的な作品には「日本永代蔵」「好色一代男」などがあります。
元禄文化の代表人物(その3)菱川師宣について
菱川師宣(ひしかわ もろのぶ)という人は、元禄時代に活躍した浮世絵を確立した画家です。
浮世絵とは、美人画や歌舞伎役者などの、身近な庶民の生活を題材にした描いた絵のことです。
元禄時代に木版画の技術が向上したことや、大衆向けの読み物が広がったことで、その挿絵として浮世絵がたくさん描かれるようになりました。
菱川師宣の代表的な作品は「見返り美人図」などがあります。
元禄文化の代表人物(その4)尾形光琳について
尾形光琳(おがた こうりん)という人は、元禄時代に活躍した画家であり、工芸家です。
光琳は1658年に、京都の呉服商の次男として生まれました。
40歳のころから本格的に絵を描き始めた尾形光琳の代表的な作品には「風神雷神図」「紅白梅図」「燕子花図」「八橋蒔絵螺鈿硯箱」などが有名です。
作品の多くは国の重要文化財や国宝に指定されています。
元禄文化の代表人物(その5)近松門左衛門について
近松門左衛門という人は、越前国(現在の福井県)で武士の次男として生まれました。
江戸時代の元禄から享保期にかけて活躍した人形浄瑠璃・歌舞伎の脚本を書いた人です。
代表的な作品には「曽根崎心中」「心中天網島」「義経千本桜」「勧進帳」などがあります。
現在でも歌舞伎の世界に残されていて、たくさんの舞台で演じられています。
※参照:化政文化の代表人物を5人まとめてみた。
この記事のまとめ
今回は、元禄文化における5人の代表人物について解説してきました。
・松尾芭蕉:俳人
・井原西鶴:浮世草子や人形浄瑠璃の作者、俳人
・菱川師宣:浮世絵の画家
・尾形光琳:画家、工芸家
・近松門左衛門:人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本家
これらの人々を一言でいうと、このような形になるでしょうか。
また、どの人物がどの作品を作ったかについては、学校のテストや資格試験などでしばしば出て来るので、誰がどの作品を作ったのかは正確に覚えておきたいところです。
「近松門左衛門=好色一代男の作者」なんて覚えちゃダメですよ(笑)