国風文化と言えば平安時代の中頃に発達した文化として知られてますが、その中で一体どのような作品が生まれたのでしょうか。

源氏物語や枕草子はどこかで耳にしたけど、何だかしっくり来ない方もいると思います。

そこで、国風文化の作品について、文学作品や美術、建築の3つの視点からまとめてみました。

スポンサードリンク

国風文化期における文学作品について解説


まずは国風文化の文学作品について見てみましょう。

平安初期の文化は中国の唐の強い影響を受けていましたが、10世紀から12世紀にかけて栄えた国風文化は、大陸の文化に日本古来からの文化を同化させる形で発展していきました。

国風文化をもっともよく表しているのは、仮名の発達です。
それまで日本語を漢字で表していましたが、8世紀ごろから成立した「古事記」や「万葉集」では万葉仮名が用いられるようになりました。

この仮名ですが、漢字の音や訓を借りて日本語を表す方法を用いているのが特徴で、主に漢字に慣れない下級貴族の間で実用化されていきました。

漢文学が隆盛していたころ、上級貴族の間では漢字は男子が使うものとされ、仮名は卑しめられていました。しかし、漢詩文が徐々に衰退していくと、日本の風土にあった自由な表現方法として仮名が広がりを見せ始めます。日本人の感覚を生き生きと表現できる仮名の普及とともに、国文学の分野でも様々な文学作品が世に生み出されました。

また、この時代には最初の勅撰和歌集として、醍醐天皇の名により「古今和歌集」が編まれました。万葉集以後の秀歌が集められ、女性の歌も多く収められています。仮名が女文字と言われていたこともあり、女性に広く浸透していった背景もうかがえます。


和歌以外にも、数多くの物語も書かれているのがこの時代の特徴です。

現存する最古の仮名の物語で、現代でも「かぐや姫」で親しまれている「竹取物語」や、在原業平を主人公にしたといわれている歌物語「伊勢物語」をはじめ、清原俊蔭とその子孫を主人公とした「宇津保物語」、継子いじめに苦しむ姫が貴公子と結婚して幸せになるまでを描いた物語「落窪物語」が書かれています。

そして、平安文学の最高傑作と言われ、現代でも世界中にその名を知られている「源氏物語」が11世紀初頭に完成しています。作者は紫式部。実際の宮廷での貴族の生活をもとに主人公光源氏の恋愛模様を描いた写実的な物語です。


また、仮名が身近なものになった事で、日々の暮らしを綴った日記や随筆も数多く書かれるようにもなりました。

紀貫之が女性を装って平仮名で書いた「土佐日記」をはじめ、藤原道綱母が夫との生活の不満や母性愛と芸術に目覚めていく様子などを綴った「蜻蛉日記」、恋愛について綴った「和泉式部日記」や宮中に仕えている時の事を綴った「紫式部日記」なども有名です。


随筆では、紫式部と同時代に宮仕えをしていた清少納言によって書かれた「枕草子」は「源氏物語」と並んで平安時代の最高傑作と評されています。

この「枕草子」は、鴨長明が書いた「方丈記」や、吉田兼好の『徒然草』と共に日本三大随筆とも称されています。

スポンサードリンク

国風文化における美術について解説


国風文化の美術についてはどうでしょうか。

この時代の美術の特徴として、国文学の発達や浄土教の普及と密接な関わりがある点が挙げられます。

まず絵画ですが、平安初期までの唐絵にかわって、日本の山水や人物を題材とした大和絵(やまとえ)が描かれるようになり、貴族の邸宅などにおいて襖や屏風を飾り、また絵巻ものして現存しています。

代表的な作品としては源氏物語のワンシーンを描いた「源氏物語絵巻」や宮中の年中行事を描いた「年中行事絵巻」などが、当時の華やかな貴族の生活スタイルを現代に伝えてくれています。


また、仏教画が好まれたのも国風文化の時代の特徴で、多くの菩薩を従え、信者の魂を迎えにくる阿弥陀如来像を現した「来迎図」も盛んに描かれました。高野山の聖衆来迎図や平等院の扉に描かれた阿弥陀来迎図が有名です。


書道では、小野道風、藤原佐理、藤原行成の三人を「三蹟」とよび、平安初期の威風堂々とした唐様に対して、優美な線を表す和様が発達します。

作品は大和絵と合わさって屏風などの調度品としての役割も果たすようになりました。


浄土教の普及により、阿弥陀如来像を収める阿弥陀堂も盛んに建てられるようになりました。

それまでの一木造(一本の木をくりぬいて作る製法)とは違い、数人の工人によって、仏像の各部を別々につくり、それを寄せ集めて一体の仏像を作り上げる寄木造という製法が用いられるようになりました。定朝という仏師がその完成者であり、平等院鳳凰堂の本尊である阿弥陀如来像は定朝晩年の作とされ、和様彫刻の名作として知られています。

スポンサードリンク

国風文化期における建築について解説


最後に、国風文化の時代の建築について解説します。

まずは住宅建築として、寝殿造(しんでんづくり)という形式のものが発達しました。
中央に主人の住む寝殿を儲け、その東西に家族が住む対屋を儲け、寝殿の南側には池を掘り、庭園を造ります。
檜皮葺(ひわだぶき)・白木柱の清楚で優美な貴族の邸宅がいくつも作られました。その後も長く受け継がれ、現代にも通じる日本風の建築様式と言えます。


また、末法思想(釈迦の教えが全く行われず、この世が滅びてしまうという考え)に強い影響をうけた宗教建築も発達しました。貴族に強い支持を受けた真言宗や天台宗に代わって広く大衆に受け入れられていったのが、浄土教です。阿弥陀仏を信仰し、念仏を唱えれば極楽浄土に行けるという教えです。

浄土教の広がりによって最盛期を迎えるのが阿弥陀仏を収める阿弥陀堂の建築です。

代表的な建造物としては、京都宇治市にある平等院鳳凰堂や、山城の日野法界寺阿弥陀堂などが現存しています。

スポンサードリンク

この記事のまとめ


国風文化の時代の芸術作品について解説してきました。


もう一度まとめてみると、


・文学作品:
仮名の発達、古今和歌集の編纂、多くの優れた物語や随筆の誕生


・美術:
大和絵や仏教画の普及、初動における優美な和様の普及、阿弥陀堂ブーム


・建築:
寝殿造の発達、末法思想の影響



このような点が挙げられるでしょうか。


この時代の文化の担い手は、全体的に貴族や上流階級が目立ちますね。その一方で、源氏物語や枕草子などに見られるように、女性が文化をリードした面があるのもこの時代の特徴です。こうした点に注目して国風文化を見てみると、また違った発見があるかもしれませんよ。

※参照:枕草子、方丈記、徒然草を比較!日本三大随筆の特徴とは?