「令和」の典拠となった事で、万葉集へ注目が集まってますね!出版社へも問い合わせも急増中だそうです…

そこで今回は、万葉集は何時代に成立したのか、有名な和歌にはどのようなものがあるのかを、分かりやすくご紹介します!

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万葉集は何時代に成立した?作者はわかってる?


万葉集が成立したのは8世紀後半の奈良時代です。正確な年は分かってはいないのですが、収録された4500首の和歌の中で、最も新しい作品は759年に詠まれた事が明らかになっている事から、少なくともそれ以降に成立したものと言われています。780年頃だとする説もあります。

収録された和歌が詠まれた時代ですが、7世紀前半から8世紀半ばといった、比較的長い期間だと言うことが出来ます。

区分としては、以下の4つに分ける事ができます。

・第1期:620〜670年ごろ:
天智天皇や藤原鎌足の時代。皇室にまつわる歌が多いのが特徴です。代表的な歌人としては額田王(ぬかたのおおきみ)が挙げられます。

※参考:天智天皇、天武天皇、聖武天皇、桓武天皇の違いやしたことを解説

・第2期:670〜710年ごろ:
天武天皇や持統天皇の時代。安定した社会の中、活気に溢れた作品が多いのが特徴。代表的な歌人としては柿本人麻呂や志貴皇子(しきのみこ)が挙げられます。

・第3期:720〜730年ごろ:
山部赤人や山上憶良、坂上郎女など、多くの個性的な歌人が輩出された時期です。「令和」の典拠となった、大伴旅人の梅の花の歌が詠まれた時期でもあります。

・第4期:730〜759年:
繊細で理知的な歌が多く詠まれた時期。平安時代に成立した『古今和歌集』の歌風と重なる点が多いと言えます。代表的な歌人としては大伴家持や橘諸兄など。


また、万葉集の作者ですが、正確には分かっていません。大伴家持を作者とする説が有力である一方、橘諸兄が編纂したという説や勅撰によるものという説も残っています。
もっとも、歌の全てを大伴家持などの第4期に属する人物がまとめた、という訳ではなく、時期ごとに色々な人物が歌をまとめ、これらの歌を家持などが最終的にまとめ上げたというのが真相だと言われています。

今回の令和の発表により、万葉集に対する注目は高まっていくものと思われます。研究が進むにつれ、万葉集の成立に関する新説が、今後出てくるかもしれませんね。

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万葉集の有名な和歌を区分別にまとめてみた


それでは、万葉集にはどのような和歌が収められているのでしょうか。
万葉集の代表的な和歌を、上記の4つの区分に分けてご紹介します。

第1期:620~670年ごろ


●舒明天皇
・夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも

●天智天皇
・わたつみの豊旗雲に入り日差し今夜の月夜清く照りこそ

●額田王
・あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
・熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
・君待つとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く

第2期:670~710年ごろ


●天武天皇
・紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
・わが里に大雪降れり大原の古りにし里に落らまくは後

●持統天皇
・春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山

●柿本人麻呂
・東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
・近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ
・大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に いほりせるかも

●志貴皇子
・石ばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも

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第3期:720~730年ごろ


●山部赤人
・み吉野の象山の際の木末にはここだも騒く鳥の声かも
・ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く
・田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける

●山上憶良
・銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
・憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむぞ

●大伴旅人
・わが園に梅の花散る久方の天より雪の流れくるかも
・験なきものを思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし

※参考:大伴旅人についてわかりやすく解説。大将軍だった!?大伴家持との関係は?

第4期:730~759年


●大伴家持
・我が宿のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも
・うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独し思へば
・新しき年の始の初春の 今日降る雪のいや重け吉事

●橘諸兄
・降る雪の白髪までに大君に仕へまつれば貴くもあるか
・あぢさゐの八重咲くごとく弥つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ
・高山の巌に生ふる菅の根のねもころごろに降り置く白雪


いかがでしたでしょうか。
馴染みのある歌はそこまで多くはないかもしれませんが、小倉百人一首をご存知であれば、持統天皇や山部赤人の歌を思い出すかもしれませんね。

また、大伴旅人が詠んだ「わが園に〜」の歌ですが、新元号「令和」の典拠となった事で大きな話題となりました。この歌は、旅人の自宅で開催された宴会で詠まれた梅に関する32の歌の1つで、この序文に「令」と「和」の文字が含まれている形となっています。

※参考:新元号は令和に決定!「令」と「和」が使われた日本の元号を調べてみた。

まとめ


万葉集が何時代に成立したのか、及び有名な和歌についてまとめてみました。

8世紀後半に成立した万葉集の編者は、歌人の大伴家持を軸に様々な説があります。7世紀前半から8世紀半ばに詠まれた、およそ4500首の歌が含まれおり、その中には新元号「令和」の典拠となった大伴旅人(家持の父)が詠んだ梅の歌も含まれています。

令和の発表と共に、万葉集にもかつてない程の注目が集まっています。様々な身分の人が詠んだ歌が含まれている事でも知られるこの歌集を、新元号をきっかけに読み返してみるのもいいかもしれませんね。

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