まだまだ寒さが厳しい2月。
しかし、暦の上では春の始まりの月でもあります。
そんな2月の季語は、冬の終わりと春の始まりが混在しているのが興味深いところ。今回は、2月を題材にした有名な俳句を5つ、その意味と共に厳選してご紹介します。
目次
近代日本を代表する俳人・正岡子規が詠んだ有名な2月の俳句
「梅のさく 門は茶屋なり よきやすみ」
作者は、近代日本を代表する俳人である正岡子規です。子規は34歳という短い生涯の中で、俳句や短歌の改革運動を成し遂げると共に、新体詩や小説、随筆、評論など多方面に渡る創作活動を行いました。この句は「寒山落木」という句集に掲載されている作品で、18歳の時に詠まれた作品だと言われています。
早速、その意味を紐解いてみましょう。
「梅の咲く門に茶店がある。ここで一休みしたら、良い気分になった」
この俳句からは、梅が咲く頃に茶店で一休みしたら、良い気分になった。そんな当たり前の心情に少しだけ彼なりの情緒があらわれてくるそんな思いが込められています。
正岡子規には、他にも「梅」の季語がはいった俳句がありますが、今回は初々しさや2月の春らしさを感じる俳句を選んでみました。この俳句からでも、当時は華美で装飾を施すことが一般的だった時代に、写生・写実的で変革をもたらす子規ならではの俳句の詠み方が現れています。
※参照:正岡子規の俳句の中で有名な作品を5つご紹介。
「江戸俳諧中興の祖」与謝蕪村が詠んだ有名な2月の俳句
「初午や 物種うりに 日のあたる」
作者の与謝蕪村は「江戸俳諧中興の祖」と称される、松尾芭蕉や小林一茶と並び称される日本を代表する俳人です。画家としても活躍していたことから、絵に俳句を書く俳画の創始者とも言われています。
そんな与謝蕪村が詠んだ2月の俳句の意味を、現代風に訳してみました。
「初午に稲荷社の門前で、作物や草花の種を売る物売りたちに注目してみた」
初午(はつうま)とは、2月のはじめの午の日を指す言葉であり、この日には全国で稲荷神(いなりのかみ)を祀る初午祭が行われていました。この行事は1年の中で一番寒い時期である新暦の2月に行われていますが、元々は旧暦の2月に行っていた春先の行事であり、種売りの人々の姿も徐々に見られるようになります。蕪村はそうした人々の姿に注目して、春の訪れを感じ、その感触を句として詠んでいたのでしょう。
与謝蕪村の俳句は多くの人に影響を与え、中でも正岡子規の俳句革新に大きく影響を与えた俳人だと知られています。一見してみるとちょっと当たり前と言う風景も与謝蕪村の手にかかれば、また違った風景が現れてくる、そんな感じがしてくるでしょう。
能を舞いながら句を詠んだ?松本たかしによる有名な2月の俳句
「いつしかに 失せゆく針の 供養かな」
作者の松本たかしは、正岡子規の後継者として知られる高浜虚子の教えを受けた俳人です。松本は能楽師の家に生まれましたが、病のために能をあきらめた過去があります。その後、病床を見舞った父が残していった「ホトトギス」を読んで俳句に興味を持ち、父の能仲間の句会に参加し、高浜虚子に師事しました。戦後、俳誌「笛」を創刊・主宰し、芸術性の高い高雅な句が特徴で、「ホトトギス」では川端茅舎や中村草田男と並び称されました。
そんな松本たかしが詠んだ、2月の俳句の意味がこちら。
「ここに刺されていない、いつのまにか消えてしまった無数の針も供養されるのだろうか」
まず、この俳句の季語である「針供養」とは毎年2月8日(または12月8日)に行われる、錆びたり曲がったりするなどして使えなくなった針を「供養」して近くの神社におさめるイベントの事です。昔は針仕事をする女性が日頃の感謝を込めて頻繁に行っており、現在でも服飾に関わる企業や教育機関の中で行われるケースも多々ある行事として知られています。
松本たかしは師匠にあたる高橋虚子からの教えを「只管写生」と唱え、能で培った美意識に支えながら典雅で格調の高い俳句を詠んだと言われています。松本は、かつて断念した能を舞っているかのような感覚で、俳句を詠んでいたのかもしれませんね。
多くの弟子を育成した。青木月斗が詠んだ有名な2月の俳句
「足袋(たび)はかぬ 天草をとめ 絵踏かな」
青木月斗(あおきげっと)は明治から昭和前期にかけての俳人です。薬種商を継ぐも、俳誌「同人」を主宰したことから家業を廃して俳句に専念し、正岡子規を尊敬して与謝蕪村の発句を学びました。俳壇での名声や利益を求める事はなかった反面、多くの弟子を育てあげた事でも知られています。彼の命日の3月17日は、辞世の句の「臨終の庭に鶯鳴きにけり」にちなんで「鶯忌」と呼ばれています。
そんな青木月斗の詠んだ2月の俳句の意味を、現代語にして見てみましょう。
「足袋を履かないで、絵踏を踏む。天草のようにならぬように」
季語にあたる「絵踏」とは、島原の乱以降の長崎で、主に正月から3月にかけて行われた行事です。江戸幕府の奉行所がこの地の人々をキリシタンか否かを確かめる行事で、その最終日には長崎の丸山遊女たちが絵踏を踏んだと言われています。普段は足袋をはく遊女たちも、この時は宗門改めと足袋を履かずに絵踏を踏むことから、遊女たちの足を見ようと多くの群集が訪れたと言われています。
余談ですが、「絵踏」同じキリスト教を由来とする言葉である「バレンタイン」も、2月の季語として詠まれる事があります。俳句の季語を探す際は、こうした宗教的な行事を考えてみるのも1つの見方なのかもしれませんね。
江戸時代の俳人・小林一茶が詠んだ有名な2月の俳句
「三日月は そるぞ寒は さえがえる」
作者は、江戸時代の俳人である小林一茶です。生前はあまり評価されなかった一茶ですが、正岡子規によって明治時代にようやく評価されたという経緯がある人物です。彼が残した俳句は柔らかみや温かみを感じさせるものが多く、また、風土とともに生きる百姓的な視点や、平易かつ素朴な語の運びに基づく点が特徴として挙げられます。
それでは、そんな小林一茶が詠んだ俳句を現代語に訳しました。
「三日月の夜は空が澄みわたってきたが、寒さがぶり返してきた」
季語は「冴返る」です。2月は暦の上では春なのですが、寒さはまだ厳しく、その寒さは春の彼岸を越えなければ収まらないと言われており、この俳句は、春の彼岸の前の厳しい寒さの中で詠んだ俳句だと思われます。
小林一茶は、百姓の生まれで幼い頃に母を失い、継母との折り合いが悪く、かなり不遇の人生を歩んでいます。一茶が残した俳句が百姓の視点に立ちながらも、微笑ましく愛嬌のある作品となっているのは、自らが置かれている状況を決してネガティブに捉えないという強い意志が伝わってくる気がします。
この記事のまとめ
今回は、有名な俳人が詠んだ、2月にまつわる俳句を5つご紹介しました。
同じ2月の俳句であっても、作者やその時代によって季節の感じ方や物事の捉え方が全く異なるのが興味深いですね。2月には季語が少ない一方で、春を表す言葉が多くなってくるのも大きな特徴です。この時期をテーマにした俳句を詠む際は、やがて来る春に思いを馳せてみるのも一興かもしれませんね。
※参照:1月をテーマにした有名な俳句を5つ解説!