戦国武将たちの勇猛エピソードで知られる戦国時代ですが、実は壮麗かつ絢爛な文化が花開いた時代でもあることをご存知ですか?

その中でも有名なのは武将茶人・古田織部の指導よって生み出された織部焼でしょう。織部焼が持つ自由で斬新なスタイルは「オリベイズム」として現代の芸術にも引き継がれています。

織部焼の特徴や歴史はどのようなものなのでしょうか。その種類と合わせて解説します。

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織部焼とは?その特徴について!


織部焼とは桃山時代頃、主に美濃地方で焼かれた陶器です。

志野焼や黄瀬戸と共に「美濃焼」と呼ばれることもあります。


織部焼の特徴はその斬新さにあります。あえて歪な形状を施し、市松模様や幾何学模様といった大胆な文様を施す趣向は、それまでの整然とした茶器とは大きく異なる点でした。織部焼は大量生産される一方で、文様は一つとして同じものがありません。その点から織部焼は個性を重視する姿勢で作られたことがうかがえます。


また、織部焼の最大の特徴は色にあります。

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織部焼は濃くのある暗緑色をしており、その味わい深い色が当時の人々を魅了しました。織部焼は視覚・触覚でも味わえる陶器と言えそうですね。桃山時代という豪華絢爛な時代だからこそ、ファッショナブルで斬新な織部焼が受け入れられたという点も押さえておきましょう。

織部焼の歴史について


織部焼の歴史についても見ていきましょう。

この陶器は、千利休の弟子であった武将茶人・古田織部によって始められたと言われています。古田織部は、南蛮貿易によってもたらされた交趾焼(華南三彩)という鮮やかな緑色をした陶器にインスピレーションを受け、織部焼の生産を始めたと言われています。

その後、大量生産を行うため唐津焼に用いられる連房式登窯という窯を導入し、慶長年間(1596〜1615年)に最盛期を迎え、主に京都の三条界隈で販売されました。江戸時代・元和年間に入ると、織部焼の特色である大胆かつ斬新な文様が次第に単純なものへと変化していきます。

この時期の織部焼の代表作である矢七田織部には織部焼最大の特徴である暗緑色が用いられなくなっており、陶器時代の形も斬新さを失っています。


その一方で、創始者である古田織部が豊臣方への内通の疑いをかけられて1615年に切腹したことを契機に、織部焼は衰退していきます。

寛永年間(1624〜1645年)に入ると古典的な青磁の復興が行われ、織部焼は姿を消しました。

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織部焼にはなんと11通りの種類があった!


最後に、織部焼の種類についてもご紹介します。

織部焼はそれぞれの特徴から以下の10種類にわけられます。

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・青織部:
器の一部に銅緑釉をかけたもの。
織部焼の中では最もポピュラーな種類にあたります。

・黒織部:
銅緑釉のかわりに黒釉をかけたもの。余白の部分には鉄絵を施す。

・総織部:
器の全体に銅緑釉をかけたもの。

・織部黒:
器の全体に黒釉をかけたもの。

・鳴海織部:
白土と赤土を組み合わせ、白土に緑釉をかけ、赤土の箇所には文様を描く。
色彩が豊かであるため、「名産」と呼ばれるものが多いのが特徴。

・赤織部:
赤土をベースに、白泥で絵や縁取りを施したもの。

・志野織部:
志野焼と織部焼の中間にあたる作品です。

・絵織部:
銅緑釉を掛けることなく、白地に鉄絵の文様を施したもの。

・伊賀織部:
部分的に白泥をかけ、伊賀焼では青緑色のビードロが用いられるところに鉄釉を流したもの。

・唐津織部:
絵唐津に倣って作られた作品。織部焼には唐津焼の窯が導入されたが、唐津織部は織部と唐津の結びつきを感じさせる。

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こうした織部焼の種類の中で代表作と言われるのが「青織部」です。

織部焼は主に茶道具に用いられますが、その他にも鉢や皿などの食器、あるいは徳利など様々な陶器類が作成されています。

この記事のまとめ


戦国の世とともに輝きを放った織部焼については、以下のようにまとめることができます。

・織部焼は歪な形、派手な文様、味わい深い暗緑色といった斬新なスタイルが特徴的である。
・織部焼の歴史は桃山時代にはじまり、元和の末期頃から衰退、寛永期には姿を消した。
・織部焼は10種類に分類できる。代表的なのは「青織部」である。



織部焼は自由で斬新なスタイルだからこそ、乱世を生きる武将たちの心にとまり愛されたのでしょう。戦国期は文化面でも斬新なスタイルが確立されていく時代です。織部焼を鑑賞する際には、そうした時代性と結び付けてみるのも面白いかもしれませんね。

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