化政文化は江戸時代の終わりごろ、享保から文化・文政の時期に江戸を中心に栄えた町人文化のことをいいます。
道路が整備されたこともあり、江戸の文化は地方にまで広まったのが特徴です。

この記事では、化政文化の代表人物を5人まとめてご紹介します。

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化政文化の代表人物(その1)小林一茶について


小林一茶というひとは、江戸時代を代表する俳人です。
1763年に信濃国(現在の長野県)で生まれました。

小林一茶の作品はとても身近な題材を扱い、とても親しみやすいのが特徴です。

一茶は生涯に数多くの俳句を詠み、その没後に『一茶発句集』『おらが春』が刊行されました。
雀の子そこのけそこのけお馬が通る」「やせ蛙まけるな一茶これにあり」など現代でも親しまれている俳句がたくさんあります。

※参照:元禄文化と化政文化との違いとは?

化政文化の代表人物(その2)葛飾北斎について


葛飾北斎というひとは、江戸時代後期、化政文化を代表する浮世絵師です。1760年に武蔵国(現在の東京都)で生まれた北斎は、生涯に93回も引っ越しをしたと言われています。

北斎の作品の中でとくに有名なのは、富士山のさまざまな角度や表情に加えて、当時の人の様子を描いた『富嶽三十六景』というものです。なかでも「神奈川沖浪裏」という大きな波を描いた作品は日本だけでなく、ヨーロッパの芸術家にも大きな影響を与えました。

そのため、葛飾北斎は海外でも広く知られており、アメリカのライフという雑誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」というランキングで、北斎は日本人の中で唯一選ばれています。(86位)

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化政文化の代表人物(その3)滝沢馬琴について


滝沢馬琴というひとは、たくさんの読み本を書きました。
読み本とは挿絵の少ない物語で現在の小説のようなものです。

滝沢馬琴は当時とても人気のあった作家だったため、たくさんの作品を書き続けました。
それが原因で失明もしましたが、長男の妻に助けてもらい、その名を残すことが出来ました。

作品を書くことに情熱を燃やし続けた馬琴は28年もの歳月をかけて、「南総里見八犬伝」という長編物語を書きあげました。この物語はのちに歌舞伎の題材として人気を集め、現代では映画化やドラマ化もされるほど人気作品となっています。

化政文化の代表人物(その4)十返舎一九について


十返舎一九というひとは 駿河国(現在の静岡県)で下級武士の子供として生まれました。
本名を重田貞一といいます。

彼は当時、とても人気のある作家で、たくさんの作品が残されています。
特に有名なのが、「東海道中膝栗毛」という作品です。弥次さんと喜多さんという2人の登場人物が、東海道を旅しながらひょうきんな会話をしながら旅の名所を紹介するといった風に、会話中心に物語がすすんでいきます。この作品は全部で12編からなり、十返舎一九はすべてを書き上げるのに、なんと20年も費やしたと言われています。

その努力が実ったからでしょうか。
この「東海道中膝栗毛」は、当時の娯楽小説として爆発的なベストセラーとなりました。

化政文化の代表人物(その5)歌川広重について


歌川広重という人は1797年に生まれた、江戸時代の終わりごろに活躍した浮世絵師です。

浮世絵とは、風景や美人画など、当時の人々の身近な生活にあるものを描いた絵を指します。
広重の代表的な作品は「東海道五十三次」というもので、箱根の山やふもとに広がる芦ノ湖、富士山などの風景を描いた作品です。現代でいう絵葉書のようなもので、当時旅が好きな人の間で人気を集めました。

また、広重の書いた浮世絵は日本だけでなく、海外の画家であるゴッホやモネにも大きな影響を与えました。

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この記事のまとめ


化政文化の代表人物を5人ご紹介しました。


・小林一茶:俳人、親しみやすい作風が特徴
・葛飾北斎:海外でも評価されている浮世絵師
・滝沢馬琴:作家、南総里見八犬伝が有名
・十返舎一九:作家、東海道中膝栗毛が有名
・歌川広重:浮世絵師、東海道五十三次が有名



それぞれの人物の特徴を一言で述べると、こんな感じになるでしょうか。


また、化政文化は同じ江戸時代の文化である「元禄文化」と間違われることが多いので、この2つはしっかり区別して覚えるのがポイントです。
以下の記事では「元禄文化の5人の代表人物」というテーマで解説しているので、一度ご覧になってみて下さいね。

※参照:元禄文化における代表人物を5名解説!